Felix Mendelssohn / フェリックス・メンデルスゾーン

フェリックス・メンデルスゾーンの生涯を紹介します。
出生: 1809年2月3日プロイセン王国ハンブルグ
死没: 1847年11月4日 ザクセン王国ライプツィヒ
ジャンル: ロマン派音楽
職業: 作曲家、指揮者、オルガニスト、ピアニスト
1809年2月3日、メンデルスゾーンは、ハンブルグにて裕福な銀行家アブラハム・メンデルスゾーンとレア・ザロモンの息子として生まれる。祖父のモーゼスは著名なユダヤ人の哲学者であった。アブラハムの代で一家は、プロテスタントのルーテル派に改宗している。
6歳: 母からピアノを学ぶ。
8歳: 父親がパリに赴いた際に同行して、合唱団ジングアカデミーの指揮者マリー・ビゴーのレッスンを受ける。この年からベルリンでカール・フリードリヒ・ツェルターに作曲を学ぶ。
12歳: ツェルターの紹介で72歳のゲーテを訪問して2週間ほど滞在する。
14歳: 大バッハのマタイ受難曲の写筆スコアを母方の祖母よりクリスマスプレゼントとして贈られる。
16歳: 父親と共にパリに行き、パリ音楽院の院長ケルビーニや、フンメル、モシュレス、ロッシーニ、マイヤベーヤの知遇を得る。
17歳: シェークスピアの戯曲を題材にした「夏の夜の夢」序曲を作曲。
20歳: 3月11日、自らの監督により、マタイ受難曲の公開演奏をバッハの死後初めて行う。メンデルスゾーンはピアノで通奏低音を担当しながら指揮した。このベルリンでの公演は大成功でさらに10日後のバッハの誕生日に第2回目の演奏会が実施された。会場には国王フリードリヒ・ヴェルヘルム3世や哲学者ヘーゲル、思想家フリードリッヒ・シュライアマハー、詩人ハイネらがいた。
26歳: 1835年ライプツィヒ・ケヴァントハウス管弦楽団の指揮者となる。
28歳: フランス系の牧師の娘セシル・ジャンルノーと結婚し、5人の子どもに恵まれた。

32歳: プロイセン国王フリードリッヒ・ヴェルヘルム4世に招かれ、ベルリンの宮廷礼拝堂楽長に就任する。
34歳: 自ら奔走して設立資金を集め、ライプツィヒ音楽院を開校し、院長となる。作曲とピアノの教授にはロベルト・シューマンが招聘された。
38歳: 5月訪英の途上、姉ファニーの死の報に接し、悲嘆の余り、精神障害を起こす。一時回復したが、11月3日に意識を失い、翌日、ライプチッヒにて没した。病名はくも膜下出血と思われるもので、最期の言葉は、「疲れたよ。ひどく疲れた」であった。
出典: フェリックス・メンデルスゾーンWikipedia

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